終戦記念日に寄せて、73年目の真実
生まれる前の出来事は、遠い昔の歴史上のことのように思えるけれど、
時を経て大人になって考えてみれば、自分と無縁のことでもなかったりする。
今50代の自分が学校で学んだ戦争は、
戦勝国側のバイアスのかかった内容だったろうし、
戦争責任者が上層部に残ったから、意図的にあいまいにされたようにも思う。
記憶に残る高校の歴史の授業では、時間切れで戦時の歴史は吹っ飛ばされたもの。
日本の学校は『正しい答え』を教えようとするから、
正解が固まっていない戦争のことは教えられなかったんじゃないか。
学校教育と、その後に映画やテレビや報道で得た知識も加えて
50代の自分にとって戦争とはこんなものです。
●自国が戦場となった国民にとって戦争は悲惨な体験である。(日本は広島・長崎・沖縄・東京空襲、アメリカはパールハーバーだけ覚えてる)
●日本は敗戦したから侵略した者として反省はあるが、当時の世界情勢においてはやむを得ぬ側面もあった。
●残念ながら戦争に至ったその世界情勢は、世界的には変わっておらず、国家間の利害調整の最終手段として戦争しかないと思っている権力者は世界にいる
●第二次大戦に負けて、日本に人権や民主主義の思想がもたらされたのは良かった
私の親はいわゆる戦中派世代ですが、戦争の実体験をあまり語らなかった。
まあ、戦争中は物資不足のがまんがまんで、終戦時には価値観が一変。天皇陛下万歳の鬼畜米英から、アメリカ万歳、民主主義だなんだで訳分からんこと言われ、その後は高度経済成長を支えて、ひたすら前見て進むしかなかったんでしょう。
母は、自分は軍国少女の時代で、学校行っても勉強なんか出来なかった、勤労奉仕で仕事ばっかさせられた。あんたはいい時代に生まれていいね、勉強できて、好きなとこ行けて、好きなことできていいねと言います。聞いててそのとおりだと思います。
父が兵隊に行ったことは知ってたけど、あまりその話はしなかった。最近、認知症状の予防にでもと昔話をするようになって知ったこと。
なんと父は志願して戦争に行った!
飲んで暴れることもなく、いたって平和的な人なので、戦争なんていやいや行ったんだろうと、赤紙で招集されていったんでしょうと勝手に想像してたんですが。
志願兵だんったんか!
「なんで志願したの?」
「飛行機が好きだったから」
は?
そういや、認知予防にゼロ戦のプラモデル買ってあげたら、ゼロ戦は海軍だとか文句言ってこだわりを見せてたな(父は陸軍の航空隊)。
軍国少年は飛行機が好きで兵隊さんに志願したという終戦73年目の真実。
話を聞くと、結構楽しそうに予科練なんかの思い出を語ります。
ここ数年娘の名前も忘れてる(いつも孫や猫の名前で呼ばれてます^^;;)のに、当時の友達の名前や所属なんかも詳しく話して、そんな時代でも人は青春を謳歌するんだなと。航空隊士官は食事のおかずが他より良かったとか。
それでも、特攻で死んだ友人の話に至ると沈黙する。
90歳を過ぎて、16、7で散った友の生涯に、何を思うのでしょうか。
戦争を体験した世代も少なくなり、記憶が薄れてゆく中、
戦争の歴史的評価の揺らぎも大きくなってきたように思えます。
父母の受けた教育、私たちが受けた教育、近隣諸国の歴史教育、
ネットに書き散らされる様々な情報、
それぞれが時代と国の都合で偏りが生じるものです。
時代と立場で異なる”正しい歴史”を教えるよりも、
評価する力を付ける、自分で考える教育になっているとよいのですが。
悲惨な体験を経て、日本が平和の恩恵を享受できた73年間、
世界を見渡せば戦争が絶えることはなく、
軍事力で支配力を持とうとする国があることも戦前に変わらない現実。
犠牲となった命の安らかな眠りと世界の平和を祈り 合掌